Mカフェ

【喪失の中から生み出すもの】

「認知症になってもできることがある」
 認知症の当事者はこんな風に語ってきました。少しでも認知症のことに関わった人ならすでに常識なのかもしれませんが、初めてこの言葉を「聴く」とき、人々はどう感じたのでしょうか。
 背景には当時の「認知症になると何もわからなくなり、できなくなる」という偏見がありました。残念ながら、今でもあります。となると、「認知症になってもできること」とは何か。それは世間に「認知症になってもできることがある」と語ることだと思います。この平易な訴えの深さは、「できなくなる、つまり生産性だけで人間存在を語るのか」という告発の鋭さを懐の奥に呑んでいます。この短いフレーズは、「できる、できない」という次元をこえて、私たち人間の存在の根本を問いかけるのです。今回のMカフェは「認知症」を超えた普遍の問いかけがあり、当事者だからこその「語る」力がほとばしったように感じます。

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 宮城県名取市の施設で介護職員として働く鈴木理さんのお話に耳を傾けました。今も介護職員として働き活躍されており、多くの人と繋がっています。改めて「聴くこと」は関わることであり、当事者と私たちが相互に支え合うことを実感しました。
「聴くこと」の力が地域の隅々にまで行き渡っている社会。社会、地域を変える簡単なことではないことかもしれない。Mカフェのドアを開くとそんな未来が見えてくるようでした。

 ちょっとだけ、いいすぎたかな・・・。                     (k)